メッキのような思い出

 

「ストナンで理想の彼女を見つけたい」

「僕にストナンを教えてください」

 

そんなこともあったよなぁと最近振り返る。

女慣れやモテはとにかく数を追う。

その目安が200即と言われてるので、無理だろうと最初の頃は思いながらこつこつやってきたがその200即が目前に迫ってきた。

 

セックスしたい=街に出れば出来る

セックスしたい=ネトぶん回せばできる

 

いつしかそんな思考回路になり、世間一般の常識から逸脱してきてると感じる。

他の人から俺はどう思われてるかは分からないが僕は非常識な人間が嫌いだ。

俺も非常識なのかもしれないが……

 

ただナンパ活動に関すること、即に関することは世間一般の常識を知った上で常識を破っている。この感覚は持った上で非常識な人間にはなりたくないなと思う。

 

 

もし界隈を知らなかったら俺はどうなっていたであろう。自分の理想の彼女が出来たとして、俗に言う非モテコミットばかりし、街のナンパ師に即られる。それを知った時俺はどう感じるのであろう。

 

もし、今の俺だったら彼女と別れたら自分の中のフィルターで彼女からキセクに変わるだけだし特に傷つくことは無い。

界隈を知らずに即られたとしたら俺は思い悩み彼女を問い詰めるであろう。

 

付き合ってもない見知らぬ男に

しかも彼氏がいるというのに

嫌悪感に苛まれるに違いない。

 

知れてよかったのはパートナーがいたとしても、子供がいたとしても不貞をする人はするってことだと思う。

それだけでも自分の精神を保つ糧にはなってるはずだろう。

 

 

 

何となく最近察したことがある。

理想の彼女が出来るのは無理であること

自分が彼女の理想になることも無理であること

 

結局のところ俺が作り上げている理想の彼女というのは偶像に過ぎない物でそれはこの世には存在しない者なのである。

 

物と者の違いを調べてみた。

意味に差異はあるがざっくり言うと

人格を有するか有しないかであるらしい

 

俺はストナンで物を求めていた。

俺は物に期待をしすぎていた。

今年の目標は関わる人全員に対して真摯に向き合おうと思っていたが今日で終わりにしよう。

 

優しさの安売りで自分が擦り切れるくらいなら最初から人に対して期待をせず接しよう。

 

もちろん好きな人には全力で人間関係の形成に努めたいと思っている。

 

ただ女性関係に関してだけは本当に疲れた。

偶像と少しでも違うと思ったら裏切られたと思い疲弊しまた街で偶像達を追い求める。

自分の理想の彼女を追い求めるのを一旦やめよう。

 

人に期待をしない。

今いる周りの人を大切にしよう。

それが俺のやるべき事ではないのだろうか

 

クソみたいな活動をしてると分かりながら連絡を取り続けてるキセクちゃん達

奇行を許してくれるクラスタ

(許してるかどうかは分からない……)

 

人の態度は鏡

だから少しでもいい人でいるために俺は今年も頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

当分彼女は作りません。

ここに宣言します。